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たまの猫

Author:たまの猫
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謎を解く男
【今日の一冊】★★★小説(ミステリー)
20060603021621.jpg ちび隠居からのオススメじゃ

今日は謎ものの定番シャーロックホームズじゃ
最近は色んな作者がホームズの話を書いておるようじゃが
なんと言っても、コナン・ドイルのホームズが一番じゃ
名作中の名作一度は読んだ事があるものも多かろう
謎解きの面白さはもちろんの事
あのホームズ・ワトソンのキャラクターが実に良いのじゃ
理路整然とし他を寄せ付けない雰囲気
興味あることはとことん追求し解ってしまえばするりと手を放す。
俗世間の事など一切興味なしのホームズと俗世の部分を、
一手に引き受けるワトソン。この二人の絶妙なバランスが
話を膨らまし読み手の想像力をかきたてるのじゃ。

人間嫌いな男がなぜかワトソンには気を緩し全信頼をよせておるんじゃな
ワトソンも妙にほっとけない様で相反するもが惹かれあう典型じゃな

シルクハットに二頭立て馬車イギリスの当時の雰囲気を
満喫出来ること間違いなしじゃ

参考までに
緋色の研究
   ↓
四つの署名
   ↓
シャーロック・ホームズの冒険
   ↓
シャーロック・ホームズの思い出〈上〉シャーロック・ホームズの思い出〈下〉
   ↓
バスカヴィル家の犬
   ↓
シャーロック・ホームズの帰還
   ↓
恐怖の谷
   ↓
シャーロック・ホームズ最後の挨拶
   ↓
シャーロック・ホームズの事件簿
の順に読むと流れが分かりやすいぞ

余談じゃがホームズの映像化は数々あれど、ジェレミー・ブレッドの
ホームズは最高じゃ。
まるでホームズが取り付いたんじゃなかろうかと思う位完璧じゃった。

しかし残念な事にこの御仁作品半ばで亡くなったんじゃ・・・
まったく惜しい役者を失ったのう

ご冥福をお祈りしよう

B0002ZEU4K.09._SL100_SCTZZZZZZZ_.jpg
シャーロック・ホームズの冒険 完全版 DVD-BOX

もう少しホームズの事を書いてみるぞ

つづくのじゃ→


ホームズのモデル
ホームズのモデルは、作者の医学部時代の恩師で外科医である
ジョーゼフ・ベル博士とされている。ベル博士は病気の診断には観察力が
重要だと学生に説き、訪れる患者の外見から病名だけでなく、職業や住所、
家族構成までを鋭い観察眼で言い当てて学生らを驚かせた。
コナン・ドイルは学生時代にベル博士の助手を務め、その所業を
日頃から目の当たりにしていた。

【経歴】
以下はシャーロック・ホームズシリーズの記述から推測されるホームズの
経歴である。これとは異なる経歴を支持するシャーロキアンも多い
ことを付け加えておく。

1872年、シャーロック、大学に進む。化学実験にのめり込み、
      余暇はバイオリン(ストラディバリウス)を演奏して過ごす。
      スポーツには、あまり興味を示さなかったものの、自己鍛錬のために
      フェンシング、ボクシング、武術(バリツ)を習得。
1874年の夏、学友ヴィクター・トレヴァーの父親の勧めで私立探偵を志す
     (『グロリア・スコット号事件』)。大学生活でシャーロックの推理方法
     (アブダクション)は洗練され、大学内でも知れた存在になる。
1877年、23歳のシャーロックはモンターギュ街の大英博物館付近に
      部屋を借り、私立探偵を開業。しかし捜査依頼は皆無だったため、
      暇な時間を将来役立ちそうな研究に費やす。
      学友からの依頼が数件あり、すべて解決する
      (『マスグレーヴ家の儀式』)。聖バーソロミュー
      病院解剖学教室入学。独自に血痕判定の新薬を開発
      (『緋色の研究』)。他にもユニークな研究論文を多数発表。
1881年、27歳の頃、ベーカー街221Bに転居。医師ジョン・H・ワトソンとの
      同居生活を始める。仕事の依頼も増え始める。
      記念すべき『緋色の研究』事件解決。脳の活性化を図り、
      モルヒネ及びコカインの吸引も積極的に行う。
1887年、『緋色の研究』の事件調査報告がビートンのクリスマス年鑑に
      発表され、広く世の人々がシャーロック・ホームズという
      探偵の存在を知る。
1888年、『ボヘミアの醜聞』事件失敗。この頃、ワトソンが『四つの署名』
      事件の依頼人メアリー・モースタン嬢と結婚。
      診療所を持ち、ベーカー街221Bを去る。
       シャーロックは、ビリーという少年を雇い、身の回りの雑事をさせる
      (『恐怖の谷』)
1891年、シャーロックはジェームズ・モリアーティ教授の犯罪組織を粉砕。
      教授に襲われるもバリツを使い滝壷に叩き落とす。
      そのまま身を隠したため、世間では死亡説が流れる
      (『最後の事件』)。 * この後、2年間チベットを旅して周り、
      ラマ僧に謁見。シーゲルソンという偽名を使い探検記を発表。
      メッカを経て、フランスに戻り、コールタール誘導体の
      研究に数ヶ月を費やす。
1894年、ベーカー街に帰還、探偵活動再開(『空き家の冒険』)。
      妻メアリーに不幸があった(と考えられている)
      ワトスンも古巣ベーカー街へ戻る。その際、診療所をヴァーナー
      という医者に高値で売却。
      後にヴァーナー(フランス読みでヴェルネ)とは、
      シャーロックの親類の名で、料金を支払ったのはシャーロック本人で
      あることが分かる(『ノーウッドの建築業者』)
1895年、ワトソンによればホームズが最も精力的だった年。
      『ブルースパーティントン設計書』事件の解決によって、
      ビクトリア女王に謁見する。
1899年、シャーロックはエスコットという偽名を使い、ミルバートン家の女中
      と婚約(『犯人は二人』)。
1900年、サーの称号を辞退。
1902年、ワトソン再びベーカー街を去る。
      シャーロックはシンウェル・ジョンソンという情報屋を
      使うようになる(『高名な依頼人』)。
1903年、49歳、探偵引退。風光明媚なサセックスの丘で蜂を友に
      隠遁生活に入る。
1909年、サセックス近辺で起きた教師変死事件を調査
      (『ライオンのたてがみ』)
1912年、英国政府からの調査依頼で探偵再開。アルタモントという偽名を
      使いアメリカに渡り、ドイツ諜報機関に侵入。
      ドイツ人に偽情報をリーク(『最後の挨拶』)
1914年、60歳、ドイツ諜報機関を壊滅に追いやり、サセックスの丘へ帰る。
      『最後の挨拶』を機に沈黙。                ウィキペディア
引用ここまで                                       

実に緻密じゃ
最後までホームズの設定がブレてないのが、
長く愛され読まれておる秘訣の一つかのう
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テーマ:お気に入りの本 - ジャンル:本・雑誌

小説*** | 11:33:02 | Trackback(0) | Comments(0)
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